ロンドン発。なぜか思いも寄らぬ方向に行ってしまいがちな人生と30カ国に及ぶ旅の記録。
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bomingo

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人生も旅もなぜか思いも寄らぬ方向に行ってしまいがち。
現在、旅と人生の相棒・スウェーデン人のトビちゃんと07年1月東京生まれの娘とロンドン在住。
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 おねえさんに質屋が集まっている通りの名前を教えてもらい、翌日質屋へ。
 
 一件目の質屋は、中国人の経営。
 電話機を持ち込むとまず

 「いくらで売りたい」

 と聞かれる。

 え、質屋って向こうから値段の提示があって、それをなんとかこっちが引き上げようと取引するもんじゃないのか!?

 一応、個人売買より若干低めの値段を言う。
 個人売買の値段だと多分高過ぎて相場を知らないアホみたいだし、低く言ういのなんてあり得ないし。

 「じゃあ$○だ」

 個人売買の60%くらい?
 ふーん、そんなもんなのかな〜。
 でも一件に聞いただけじゃ分かんないし。
 足元見られてたらかなわんのでもう一軒くらい行こうっと。
 と言う訳で、その店では「じゃあいい。」と断って次の質屋へ。

 2件目はかなりのイタリア訛りの、兄弟らしい濃い顔2人組の経営の質屋。

 携帯を出すと同じく

 「いくらで売りたい」

 と聞いて来る。
 同じやり取りをした後提示された金額は前と同じ。
 ふーん。相場はそんなもんなのかな〜。
 ほんとはここで粘るべきなのか。
 でもまぁ捨てるよりはいいし…と言う訳でその値段で売る事にする。
 無事に携帯を売り、これでさっぱり、オーストラリアにお別れだ〜

 と言う訳で、オーストラリアを発ち、旅は『2003年 東南アジア編』へと続くのです☆

 オーストラリアではいい事もそうでない事も色々あったけど、振り返って見て、オーストラリア滞在が総じて良い思い出になっているのは一重に向こう出会って一緒に過ごした人たちのお陰って言うのが大きいなぁ〜と言う気がします。
 皆、ありがとね〜☆ と言いたい星


 2003年10月17日
 そんな訳で、オーストラリアを去る決心をした。

 一度思い立ったら私は早いです。
 一刻も早くアジアだ!
 と言う訳で旅行会社へ。

 日本には仕事もアパートも残して来なかった。
 東南アジアでは、夢であった長期のぶらり旅ができる手書きハート
 できれば陸・海路を使ってぶらぶら寄り道しつつを北上したい…と思ったので、シドニーからは東南アジアの南の端っこ、インドネシアに飛びたい、と思ったのだが、バリ島は人気があるのか、それとも当時、バリ島のクラブでの爆破テロ事件からちょうど一年で記念行事などがあるためだったのか、バリ行きの航空券は高かったので断念。
 東南アジアの南方で一番航空券の安いところのマレーシアはクアラルンプールに飛ぶ事にした。
 飛行機は約一週間後のが取れた。

 4ヶ月間、みっちり楽しんだ。
 もうオーストラリアに思い残す事はない…
 けど、ひとつ、オーストラリアを出る前に、プリペイドの携帯電話携帯電話を売っぱらいたい。
 売れば結構な値段になるのだ。
 2,3のシドニーの日本人向け旅行会社のクラシファイド掲示板に『携帯売ります』の張り紙をした。

 …が、出発の2日前になっても反応は全くなかった。
 張り紙してからたった一週間も経たないので、仕方ないかショック

 うーん、でもこのままだとこれ、捨てちゃうだけだし、もったいないなぁ…

 航空券を手配した旅行会社にチケットを取りに行った時に、カウンターのおねえさんにその話をした。
 
 するとおねえさんは「あらー、じゃあ質屋賞金に持っていけば。」
 と言う。

 オーストラリアにも質屋があるのですね!
 オーストラリアにも質屋があるのも意外だけど、自分がオーストラリアで質屋に行く事になると言うのも意外であった…。


 大体ワーホリが周る先は決まっているので、シドニーでは、ケアンズで出会った人たちで今はシドニーに住んでいる人たちと再会したりなどして、シドニーを観光したり、飲みに行ったりしていた。

 あと、シドニーには本屋の紀伊国屋があるので(南半球一大きい本屋だそうです)日本の本を買いに行ったり、旅行会社のクラシファイド掲示板に仕事情報をチェックしに行ったりしていたら結構日々があっと言う間に過ぎて行く。

 そうしながらも、自分はオーストラリアに留まりたいか、アジアに行きたいか考えていた。

 ある日、ニュースを見ていたら

ビッグニュースですよ。なんと『ライオンキング』がオーストラリアにやって来ます!!

と言っていた。

 当時、2003年。

 ……今頃なのか?

 ミュージカルには全く興味はないのだけど、遅過ぎじゃね?

 そう言えば、ある夜はテレビで映画の批評番組をやっていて、メガネを掛けたりしていかにも「私文化人です」風な人たちが集まって映画についてあーでもないこーでもないと言い合っていたのだが…語り合ってる映画は…ハリウッド超大作
 いや、ハリウッド超大作が悪いと言うんじゃないんだけど、文化人気取って語り合う様なもんじゃないでしょ〜お化け

 やっぱりここは世界のハズレ。

 この国で行きたかったところはほとんど行ってしまった。
 あと自分にとってこの国に何が残っている?
 ここの半額以下で放浪できるアジア行きを延ばして残る価値はあるか?
 唯一の心残りは英語。もっともっとバリバリになりたい気持ちもあるのだけど…
 でも、アジアの安い国で語学学校に行くと言う手もあるじゃないか?

 …アジアに行こう!
 アジアが呼んでるぅ〜!!


 と言う訳でオーストラリアを去る事にしたのである。


 <追想>
 語学に関しては、実際オーストラリアより東南アジアでの方が実になった感があります。
 ただでさえネイティブの英語は難易度が高いのに、独特のオージー英語はかなり難しいものがありましたが、東南アジアで出会う現地の人やヨーロッパからの旅行者など、ノンネイティブ同士での英語のやり取りは、ノンネイティブとしての私の英語を上達させるのに大そう役立ったのでしたえんぴつ


 そんな訳で暮らし出したシェアハウス。
 ボロい以外は環境もいいし快適。

 ただ、普通のお食事時間にキッチンに行けないダイニングでご飯が食べれない事以外は…。

 いや、別に行けない事はないんだけど、ちょっとウザい事が起こるので…。

 主に日本人向けの情報誌に募集広告を出しているらしく、シェアハウスには日本人が多く住んでいた。

 その内の一人、30歳過ぎたある男が、キッチンでご飯を作っているかダイニングで食べていると必ず現れるのである。

 その男もワーホリでオーストラリアに来て、数ヶ月経つと言う。

 しかし、数ヶ月経つのにシドニーから離れた事はないと言う。

 「え、ケアンズ?ケアンズってしょうもないとこなんでしょ?ラウンド(オーストラリア周遊)?したいとも思わないねぇ」

 仕事もした事がないと言う。

 「仕事?まぁしてやってもいいんだけど、別にする必要もないし」

 じゃあ毎日何をしているのかと聞くと

 「毎日忙しいよ。だって朝は7時から○○○(テレビのモーニングショーの名前)が始まるでしょ、それが10時に終わったら今度は△△△(テレビのワイドショーの名前)が始まるでしょ。そしたら次は×××(これもテレビ番組)が始まって…」

 …だそうです。
 シェアハウスからも滅多に出ない様子。
 そして、誰かがキッチンかダイニングに来るとすかさず部屋から出て来て自分も何か作ったり食べたりしながら話してくるのである。

 で、話す内容は上記の様な事しょんぼり

 その内ウザくなって結構つっけんどんな受け答えとかしても、全然ひるまない…と言うか空気が読めないのでしょうお化け

 30歳過ぎてオーストラリアまで来て何やってんでしょうね…。

 ちなみにこの人、ニュージーランドでもワーホリしてたらしいです…ニュージーランドでもこの調子だったのだろうか…。

 その内、時間を外してさっと調理を済ませてすぐ部屋に戻れば男がキッチンに出て来る事が少ない事が分かって来たのでその様にする事にした。

 …しかしなんでコソコソしないといけないのか…。

 釈然としない気持ちで部屋食をする、シドニーのシェアハウスなのだった。


 シドニーの旅行会社などで日系情報誌をもらいまくり、中に一件、家賃が週単位で安いシェアハウスの広告を見つけたので見に行く事にした。
 
 オーストラリアではここを最後の街にしようと思っている。
 シドニーで仕事をしつつ長期滞在…と言う選択肢の他には、東南アジアに飛ぶ、と言う事も考えているのだけど、まだどちらにするかは決まっていない。

 が、取りあえず、仕事をするにしても国際線のチケットを取るにしてもちょっと時間は掛かりそうなので、ユースやゲストハウスにいるよりはシェアハウスに移った方が滞在費は安くて済むのだ。

 見に行ったシェアハウスはトライオンロッジと言い、郊外にある。
 行ってみると、オーナーは80歳を超えたおじいさん。情報誌の広告に名前が載っていたのだが、ボリス・なんとかコフってロシア名である。
 空き部屋をいくつか見せてもらいながら話をしたのだが、ボリスは亡命ロシア人らしかった。
 ロシアを出てから満州で暮らしていたが、第二次大戦の終戦で満州にはいられなくなり、今度はオーストラリアへ移り住み、貸家を経営して来たのだと言う。

 「もう年だし、娘達には『誰も貸家は継がないわよ。貸家なんて売って悠々と暮らせば?』と言われるけど、働いてないと老けるからねー」と、今は貸家の経営は半分趣味みたいだった。

 それにしても、あのくらいの年の人たちってかなり人生波乱万丈な気がする。
 ボリスの自宅に入る機会があったのだけど、インテリアはアンティークで揃えられていた。うーん、亡命した辺り、ロシア貴族の末裔だったのかしらん。

 シェアハウスの敷地の庭に咲いている椿を手折って

 「ここに住むには難しいルールなんてないけど、女の子には一つ決められたルールがあるんだよ」

 と言いつつ私にくれ、

 「それは毎日花を生ける事さ」

 などと言うおちゃめなおじいさんであった。

 部屋はボロかったが、家賃はお手頃、家主はおちゃめ、と言う事でしばらくここに滞在する事にした。


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